本日のBGM, 日本のポップス | 謹賀新年


小沢健二『刹那』
これ聴きつつ年賀状刷ってます。間違いなく元旦にはつきません。

この時期にこれを出した意味が、聴いてから余計に解らなくなった。

ほとんどが『Life』以降の楽曲をまとめたもの。
ラヴ全開だったオザケンにもう一度会えます。が。
今聴くとそれとは別な、シニカルな何かを感じて仕方がない。
たぶん小沢くんが曲を作った当時の年令に自分が追い付いており、
思い出と自分が同じラインに立った時に見えたもの、ってのがその“シニカルさ”。

これでしばらくまたさよならするつもりなのだろうか。

あの当時元ネタ楽曲一覧が本になって売られたり、いわゆるパクリ騒動ってのがあった訳だが
彼自身のベースにあるモータウンやらそのあたりのR&Bな部分やブルージーな感覚、
高校時代に通過したロックな部分、DNAに流れるクラシック音楽。
幼い時に聴いた日本のポップ・ミュージック。

リスペクトという単語でくくっていいと思う。
一度反芻して出した答えが90年代半ばに彼が残したポップ・ミュージックの数々だったのではないだろうか。
小沢健二というフィルターを通したそれらの音楽は小沢健二の曲以外の何ものでもないのだ。

いつも自分と向き合い続けて、ギリギリまでありのままの感情をパッケージにしようとしていた
当時の苦悩がそのまま真空パックされてここに入っている。
だからうっかり聴くと痛みを覚えるのだ。

ジャケや中のブックレットに本人からのコメントはいっさい入ってはいない。
CMにも本人は出て来ない。何の説明もない。
そして何の説明もないまま発売は3ヶ月遅れていた。
実にあっさりしたものである。

歌詞カード部分には90年代オザケンが持っていた連載(オリーブなど)で使われていたアー写が
びっしり詰まっている。さながら“思い出のアルバム”状態。
9割型スカパラのメンバーが演奏した楽曲が収録されている。そう、そういう時代だった。
青木達之が数曲ドラムを叩いていることは記述の必要があるだろう。

あの93〜96年。なんだか解らないがやけに目まぐるしく駆け抜けてしまった月日。
『刹那』というタイトルはあまりにストレートだが、それ以外のいい名前も見当たらないのだ。

(kikka303) 2004年01月01日 05:48 | カテゴリ: 本日のBGM, 日本のポップス
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